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去年の春からご縁があり仲間と休みの日に農に勤しんでいる。

自然農と言うのは無肥料、無農薬、不耕起で虫を敵としないという考えに基づき行う農のことで、初めはほったらかし農園だと思っていたが、ほったらかしと言うわけにはいかないのである。

月一の農塾(島の自然農の山岡さん主催)に参加したり、愛媛で自然農を実践されている方々の畑見学などもさせていただき、日々学びを深めている。

わたしは業として鍼灸をしている。

慢性疾患のある患家さんのお宅へいき、ある程度、決まった方を長く担当させてもらうやり方で、経絡治療をベースに、その方のもつ自然治癒力をいかに発揮できるか、といいところに重点をおき施術にあたっている。

その方を見る  望

音を聞く、匂いを嗅ぐ   聞

問診をする   問

脈診や、ツボの選定  

観察する、ということは、選穴したり、施術前と後の様子を比べたりすることで、この仕事において重要である。


畑づくりと
鍼灸師としての、体づくり

これはとても似ている。

わたしはよく、患家さんに、
この施術は自分の体の畑づくりですよ、とお伝えしてきたが、自分が畑作業をするようになり、実感を込めてそう話すことができる。

畑と人の体はよく似ている。

大宇宙と小宇宙なのだ。

虫を敵としないという自然農の考えは、病を適としないということにもつながる。渦中において、病は辛いことだが、病はギフトだと思っている。



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麻てらす

麻てらす

というドキュメンタリー映画を
仲間の主催で見ることができた。

麻というものに妙に惹かれていた。
若い頃頑張って買った黄色い麻の帯。
麻の服やお布団の肌触りはなんともここちよい。オイルも気になる。


去年の夏頃、とある人に前世をみていただいたことがある。その人が言うには過去生は色々あって今のわたしに一番影響しているであろうところを読み込んでいくそう。うーむ、正直、よくわからんなぁと思いながらも、その人の話術に取り込まれて、話し終えたときには妙にスッキリ納得しているのであった。

それは、中央アジア辺りか?
乾いた土地で大家族で大麻を育てているのが見えるという。それは生業として、シルクロードで外国へ送るものであるらしい。そこは山々の連なる場所。わたしは自分の体を使い、西洋医学的なものなど、色々な実験に手を出していて、その中で失明してしまったそう。そのときに東洋医学への憧れ、学びたいという欲などを持ったがその世では叶わなかったそう。

わたしは疑り深い性格なので、最初からアレコレ情報開示したつもりはなかったのだが、妙に自分の興味や、いままでの人生とシンクロすることがあった。その日は麻のズボンを履いていたし、徳島のあらたえの布を代々つくる三木家にずいぶん前から行かないと、という気持ちがあった。(まだ行けていない。行かねば)

塩や酒で祓えないものを麻は祓ってくれるのだとか。

また、なぜ、鍼灸の道を志したのか、アトピーという病気を経験し、西洋医学を信頼しきれずも捨てきれず、東洋医学の憧れを抱くという矛盾した気持ちにもやもやしていた。目の病気、視力が悪いと言うことなどなど、いろいろなピースがはまり、なんだ、矛盾をかかえていても良いのだと妙に納得した。

なんとも、すごいのが

自分の去年の夏頃の悩みが、いまは仕事中心で家庭も持たずにきたこと、偏った人間関係にあるということだったのだが、その方が、おそらく、これからその過去生の時のような大家族的なさまざまな世代の人と関わるようになるというようなことを言われて、、そのときは未来のことはからんしなあぐらいだったが、そのあと、本当にそういった出会いがあり、いまこのご時世だからこそ出会えた仲間たちとのつながりを感じて充実した日々が送れている。

去年の夏頃といえば、流行病に関する対処法のアレコレの情報を調べまくり、闇にどっぷりつかり、家族や友人ともそのことで少しアレコレあったころだろうか。

今なら、選択はそれぞれにあること
善悪の決めつけは良くないこと
結局、二極化してしまっては思う壺であること
時には貝になることも重要であること
話ができる友が、仲間が、家族がいることがありがたいってこと。

話は元に戻るが
麻てらす、はそんな、仲間たちとの交流。そして、妙に惹かれてやまない伝統という世界。藍の体験会、松の試食会、また、鍼灸の世界でも感じることだが、継承や、伝統が根絶やしされそうな、いまや崖っぷちにきている。さまざまな計画はもはや最終段階にきているのであろう。そう思うとやはり絶望感に苛まれるが、仲間を得たわたしには、光が差し込んでいるのが見える。その光をたよりにみんな、それぞれが進んでゆけばよい。
さあ、これから。
きっと、それぞれが望む未来がそこにある。矛盾を抱えながらも、過去も未来もいつでも自分が思うように書き換えながらすすもう。
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藍染体験

岬藍はなあい さんへ
藍染体験に行ってきた。

久しぶりの伊方。
2020年に九州へ勉強会に以来かな。
今回は予定が決まったのがだいぶ前だったから伊方について色々リサーチしてみた。

伽藍山のお地蔵さんにはいつか会いにいきたいなぁ

ランチする場所を色々リサーチしたけど、適当なところがなく、、

事前に草花ビレッジでランチボックスを注文していざ海周りで伊方へ

メロディラインをとおり、うみ、や、みかんの花を体感

ランチを食べれるところを探すもなかなかベンチがない!

アグリトピアというロッジのある管理棟の方に尋ねると、テラス席を使っていいよ、とのことで、ありがたく貸し切り状態で海をみながら美味しいランチタイム。

はなあいさんはそこからすぐ近く。

書道家のご主人と、華道家の奥様が伝統の藍に魅せられ、奥様のご縁のあった海と空のブルーの美しい伊方に数年前に移住。自然農で藍を育て、管理、収穫、蒅発酵、藍発酵、染まで完全に自分たちのみで行う藍師さん。無農薬、無肥料、守り継がれた伝承の藍を繋ぐ愛のお話を聞き、藍の畑で体験させていたくだけで、幸せに満ち満ちた時間であった。



杜人

杜人という映画を見た。

いま、わたしたちが暮らすこの世界。
便利で自由だ、

生活に車は欠かせない。
車を、走らすためにはアスファルトで地面を覆う。
遠くへ短時間で移動するには高速道路も必要で、山にトンネルを通してまっすぐで走りやすい道が用意されている。

蛇口を捻れば、すぐに水が出て、料理や温かいお風呂に入ることができる。トイレも水洗で綺麗だ。

生活をするために、お金を稼ぐ手段が必要で、そのために、子供の頃から教育され、自ら選んで学校へ行く。必要なら資格取得の勉強も寝る間を惜しんでやる。

得点をとり競い合うスポーツが美徳とされ、頑張っている選手は評価されている。

あの店の何が美味しいとか、新しい店がオープンしたとか、流行りの服、メイクやダイエット、
かと思えば、健康にあれが良い、悪い、情報のオンパレード。

時間に追われている。
やらなければならないことが多い。
やりたくないこともやらないといけない風潮。

誰かと比べる
自分が劣っているような気分になる
誰かより優位に立とうとする

そんな世界で息苦しくなると、山へ逃げ込んでいた。

山では、土砂崩れがここ最近毎年のようにあり道が塞がれてしまう。木々がバタバタと倒れてしまう。鹿の食害、レッドタグの植物たち、湿地の縮小。。。

杜人は、風のように草を刈り払い
小さなスコップで水脈をつくる。
自然界の結に逆らわず生きていく
ナウシカのような人。
大宇宙である地球のお医者さん。
地球を信じて、施す。

いま、小宇宙であるわたしたちの体も蝕まれている。アトピー、喘息などのアレルギー疾患。リウマチなどの自己免疫疾患、関節痛、癌や糖尿病、脳血管障害、心筋梗塞などあげればキリがない。

どちらも崩壊することでバランスをとっている。

生きるために。

われわれは、災害や症状の小手先だけを見るのではなく、全体像を捉えないといけない。

はたして、その害悪とされているものは悪物なのであろうか?

善悪だけでははかりしれない

白黒だけではわけることのできない

全てを呑み込み浄化する力が自然界にはあるのだと思う。








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からだの声を聴く魔法

呼吸法

百会(あたまのてっぺn)から息を吸う
湧泉(足裏)から息を吐く

百会(あたまのてぺん)から数メートル上うえから息を吸う
湧泉(足裏)から数メートル下から息を吐く

百会(あたまのてぺん)からもーっとうえ宇宙の方から息を吸う
湧泉(足裏)から数メートルもーっとした地底から息を吐く

からだの痛いところ、気になるところに触れられるようなら触れ、
会話する。
小さな子供に聞くように
なんで痛いの?ほったらかしにしていてごめんね、大事にするからね、などと声をかけてみる。

返事をまってみる

☆☆☆

私たちは日々のルーチンに追われ
からだの声を聴くということをおざなりにしてしまっている

からだの不調や、痛みはからだからのメッセージ。

感情の抑圧、症状を薬で抑えて仕事に向かうこと、TVやネットからの情報(不安やおそれといった)に振り回されること

それらの蓄積で、わたしたちは不調を知らず知らずのうちにからだに抱えるようになる

東洋医学では未病という考えがあるが

ひとりひとりが自分自身のからだの声を聴けるようになること

これが健康の近道。

わたしはこのお手伝いをしているのかもしれない。
自分自身も対話中。