麻てらす
というドキュメンタリー映画を
仲間の主催で見ることができた。
麻というものに妙に惹かれていた。
若い頃頑張って買った黄色い麻の帯。
麻の服やお布団の肌触りはなんともここちよい。オイルも気になる。
去年の夏頃、とある人に前世をみていただいたことがある。その人が言うには過去生は色々あって今のわたしに一番影響しているであろうところを読み込んでいくそう。うーむ、正直、よくわからんなぁと思いながらも、その人の話術に取り込まれて、話し終えたときには妙にスッキリ納得しているのであった。
それは、中央アジア辺りか?
乾いた土地で大家族で大麻を育てているのが見えるという。それは生業として、シルクロードで外国へ送るものであるらしい。そこは山々の連なる場所。わたしは自分の体を使い、西洋医学的なものなど、色々な実験に手を出していて、その中で失明してしまったそう。そのときに東洋医学への憧れ、学びたいという欲などを持ったがその世では叶わなかったそう。
わたしは疑り深い性格なので、最初からアレコレ情報開示したつもりはなかったのだが、妙に自分の興味や、いままでの人生とシンクロすることがあった。その日は麻のズボンを履いていたし、徳島のあらたえの布を代々つくる三木家にずいぶん前から行かないと、という気持ちがあった。(まだ行けていない。行かねば)
塩や酒で祓えないものを麻は祓ってくれるのだとか。
また、なぜ、鍼灸の道を志したのか、アトピーという病気を経験し、西洋医学を信頼しきれずも捨てきれず、東洋医学の憧れを抱くという矛盾した気持ちにもやもやしていた。目の病気、視力が悪いと言うことなどなど、いろいろなピースがはまり、なんだ、矛盾をかかえていても良いのだと妙に納得した。
なんとも、すごいのが
自分の去年の夏頃の悩みが、いまは仕事中心で家庭も持たずにきたこと、偏った人間関係にあるということだったのだが、その方が、おそらく、これからその過去生の時のような大家族的なさまざまな世代の人と関わるようになるというようなことを言われて、、そのときは未来のことはからんしなあぐらいだったが、そのあと、本当にそういった出会いがあり、いまこのご時世だからこそ出会えた仲間たちとのつながりを感じて充実した日々が送れている。
去年の夏頃といえば、流行病に関する対処法のアレコレの情報を調べまくり、闇にどっぷりつかり、家族や友人ともそのことで少しアレコレあったころだろうか。
今なら、選択はそれぞれにあること
善悪の決めつけは良くないこと
結局、二極化してしまっては思う壺であること
時には貝になることも重要であること
話ができる友が、仲間が、家族がいることがありがたいってこと。
話は元に戻るが
麻てらす、はそんな、仲間たちとの交流。そして、妙に惹かれてやまない伝統という世界。藍の体験会、松の試食会、また、鍼灸の世界でも感じることだが、継承や、伝統が根絶やしされそうな、いまや崖っぷちにきている。さまざまな計画はもはや最終段階にきているのであろう。そう思うとやはり絶望感に苛まれるが、仲間を得たわたしには、光が差し込んでいるのが見える。その光をたよりにみんな、それぞれが進んでゆけばよい。
さあ、これから。
きっと、それぞれが望む未来がそこにある。矛盾を抱えながらも、過去も未来もいつでも自分が思うように書き換えながらすすもう。